永山瑛太監督作品「ありがとう」(全ネタバレしてます)

私は永山瑛太さんのファンなので、瑛太さんが過去話したことなど自分が持っている記憶が勝手に情報として足されている部分もあり、純粋に映画だけを見た方と見るべきポイントが違ってしまったり、拡大解釈な部分もあると思うんですが…。
瑛太くんは見た人それぞれの感覚で解釈をさせてくれる余白を与えてくれたので、私の解釈で感じたことを書こうと思う。

先に言うと、
見入ってしまうし、繰り返し見たくなる。
瑛太さんの見ている世界が投影されている気がした。
これが一番シンプルな感想です。

以下、ツラツラと…。


納豆。
瑛太くんが好きなもの。
食べようと思って冷蔵庫から出すんだけど結局他のものでご飯を済ませてしまい、食べずに冷蔵庫に戻してしまうことがある…。
と、以前言っていた。
その時、家庭の風景が浮かんだのを覚えている。

納豆って、私の中で家族の食卓っていう印象があって。
外でも食べることあるんだけど、家の食卓に並ぶ景色が一番に浮かぶ。
主人公の男にとって、それがどうだったかは分からないけど納豆の向こう側、ピントの合わない視界の先に家庭の景色があるのかなと思った。

マスクの上に落ちた納豆で、こちらの世界に戻ってくる男。
そのマスク、そのままするんだ。
捨てても良いような気がするけど、ちゃんとするんだ。
この社会だとしなきゃいけないか…。
私ならするかなぁ…するかもなぁ。

食事もほとんど食べず、きっと先払いもしているのにぼんやりお金を払う。
だけど、スーツを着てマスクをして、社会に溶け込む姿勢もある。
心ここにあらずで、体は社会の中で生活をしている。
顔の傷については最後まで説明されないけれど、何となくその背景を想像する。

「先払いじゃないの」
その言葉をかけた女性が何だか印象的だった。
彼の状況を改めて理解できたというのもあるけど、ここでも私ならいうかなぁと考えたりもした。
彼には世界が見えなくなっているけど、世界から彼の姿は見えているよね…と思ったり。


黄色い世界。
瑛太くんのインスタを見ていてもよく感じていた。黄色が強いフィルター。
少し色あせたフィルムのようにも感じる世界は、瑛太くんの見えてる世界かなぁと思う。

咳で苦しむ男。
世界にピントがあっていなかった主人公もその存在に気づく。
でもその横を、見なかったかのように通り過ぎる。
瑛太さんのインタビューにも少し触れられていたけど、主人公の男は家族を失い自暴自棄に近い状態だけど、パンデミックの世界でマスクをしている。
(一方咳き込む男はしてないというのもまた対比)
目の前で命の危機がよぎるほどの咳をする男を見なかったことにする。
心は死に焦点を当てているのに、体は生きる方に向かい、死に近い存在を見ないようにする…という姿が心に残った。

生きたいけど死にたい、死にたいけど生きたい…と思いながら過ごす時間ってあるなあ。
苦しさから逃れたくて、それには死が一番楽なような気もするけど、ふと立ち返ると生きたいと思っているから苦しいんだと言うことにも気づいたりして。

男はふらふらと入ったホテルで、女性へ癒やしを求めるけど満たされない。
女の姿が娘の姿に見えたときの感情を考えた。
後ろめたさなのか、虚無なのか。
娘の人生の先を想像したりもしたのかなぁ。
その人にすべてのお金を渡して、持つものが減った彼は死に一歩近づいている気がした。

男の記憶の娘は黄色の服を着ていた。
黄色は彼の記憶の中の娘の象徴なのかなぁと思った。
点字ブロックが歪んで、また娘を思い出す。
黄色い車が死に場所へ連れて行ってくれる。娘に連れられ、彼は山へ向かったのかな…とも思った。
それでも黄色のジャージの男は彼の世界に入らない。
この対比は何だろうか。

山の中で大きな木を見つけて自分の死に場所に選ぶけど、あっさり失敗に終わる。
何だかコミカルな描写だ。
この男、どこか抜けている…。
突っ走っているとも少し違うような。
無計画…とも違うような。
死にたい気持ちは確かにあるのだろうけど、体は生きていて人間らしい失敗も繰り返し。
そんなちぐはぐが端々に。

そんな男の行動を止めるでもなくただ眺めている黄色い服の男。
また黄色だ。
この男はちゃんと、主人公の男の目に止まった。
ついて行ったってことは、この黄色い服の男は、黄色いスポーツカーのように、娘の世界に近づけてくれるものなのだろうか…と考える。

この黄色い服の男も面白い。
自殺しようとする姿は止める素振りも見せなかったのに、主人公を家に招く。
自分で、主人公の男を家に招いたのに、隣に座ろうものなら逃げるように距離を取り、男の前で口元にタオルを巻く。
タオル姿を見て
「コロナを警戒しているのか」
と、相方?同居人?の男に言われて濁す。
彼がコロナに怯えているとしたら、警戒の相手は確実に外からやってきた主人公の男なんだと思うけど…。
死を止めるわけでも、死にたい理由を聞くでもなく、家に招き入れてはいる…。
家に招き入れてはいるけど、コロナを持ち込んでないか警戒はしている。
この人もまた人間らしい矛盾を抱えていて、面白いなぁと思った。

実際むせ返るほどの咳をした男から車を奪ってきている主人公の男は、二人で暮らす?この人たちにとっては、持ち込む者になる可能性もあるんだよね…。
そういえば後に出てくる主人公の男の記憶かな…走馬灯の中にワクチンをうつような風景もあったな。
その頃はまだ生きたかったのかな。
それとももう、死にたくて生きたくもある頃だったのかな。

コロナの話をしているとき、主人公の男は一瞬マスクをしようとするけどやめるんだよね。
その時の心境が気になったりもした。

黄色い男と真反対の言動をする男は、マスクもしなければ刺身を分け合うことにも躊躇はなさそう。
生も死も自然に受け入れているというか…狩りをして、命をもらっているという感覚が体に根付いているからなのかな。
命が循環すること、何かの死をもって何かが生きながらえていることを体感で理解しているのかな。
誰しもいつか死が訪れ、自然に帰るというのを受け入れているように感じた。
きっと自然の中に収まって生きていればあたり前の連鎖なんだろうけど、もう人間はそこから外れるように社会を築いてしまっているからさ…。
蓋をして見ないようにしてる部分もあるし。
その築き上げられた社会の中で、生きる者、死ぬ者のコントロールをしてしまってる部分もあるよね。
だから自然の流れに逆らうように、生きたくなったり死にたくなったりしてしまうのかな。
自分の傍にいる人にはずっと生きていてほしいと思うしね。
主人公の男も、そうだったのだと思うけど。

男の中で狩猟への語らいはぐるぐるとめぐり、また黄色い世界に引き込まれていく。
銃を持ち、森をさまよって銃口を自分に向けるけど死ねない。

パンデミックの中で、注意深く生きる人、弱っている人、そんな人たちを引き金一本で死に向かわせるものを彼は手にしている。
その世界に銃口を向ける…そんな光景も流れる。
幻覚なのかな。夢なのかな。
でもそれは実際、人が生きる上でさまざまな命に向けてやっていることでもある気がして…。

結局死ねずに打ちひしがれる背中が悲しかった。
元の場所に戻った彼が、家の扉を開けると娘から手渡された花が手元に現れる。
どこまでが幻覚で、どこまでが現実なのだろう。
娘に渡された花を握り、再び森の中をさまよう男。

このとき、ずっと止まっていた男の中の記憶が走馬灯のように流れる。
私はここで、ようやく家族の死を受け入れて、娘の好きな花を手向けることにしたのかなぁと解釈したのだけど…。

でも川に入り、男はおそらく場所など定めずに銃を打つ。
その先には黄色の男がいて、同時にその男は自分に向けて銃を撃つ。
水は血で染まる。

この瞬間、どっちだろう…と思った。

彼は黄色の世界から解き放たれて、流れる血の赤や痛みや、光の眩しさを感じて、生きる方に戻ってこれたのか。
それとも黄色の世界にようやく連れて行ってもらえたのか。

ぐるぐる巡る中で、

それとも主人公の男が黄色いジャージの男に向けて銃口を向ける想像をしたように、黄色い服の男にとって主人公の男は、獲物でしかなかったか。

主人公の男の銃口が自分に向かっていたから、やり返した…のは違うかなぁ。

と、このやり取りの先を想像する。

この男はこの後どうなったんだろうか。
最後の表情がとても印象に残った。

タイトルはどこに向かっているのだろう。
生の世界へ戻してもらえたことへのありがとうなのか。
死の世界へ連れて行ってもらえることへのありがとうなのか。
家族との日々へのありがとうなのか。
それとも全く違う何かへのありがとうなのか…。

今生きている環境や、気持ちの在り方で、全く別の解釈もできる作品だなぁと思った。
それぞれの持つ死生観、生きたい気持ちにも死にたい気持ちにも寄り添う映画だと思う。

私は、生きる方向へ向かってほしいなぁ…と、自分自身への叱咤と願望も込めて思うことにした。


余談だけど、最後に出てきた白い花。
野菊か、マーガレットかカモミールか…私は花のことはよく分からないんだけど、木村カエラさんが家族のことを綴ったNIKKIの帯には同じように、白くて真ん中が黄色のお花が並んでいた。
たぶんあれはご本人「リルラリルハ」に出てくる「私のおまもり、お花 マーガレット」のマーガレットだと思うんですが…。
コロナ禍、歌手の皆さんが歌つなぎをしていた時に木村カエラさんは「リルラリルハ」を歌っていたんですよね。
黄色?オレンジ?に白の花柄のかわいいお洋服を着て。
その撮影者はご家族で、最後に拍手と歓声が入っていて、カエラさんはニコニコ笑ってて。
映画を見ていてその光景を思い出して、これは本当に勝手な解釈なんだけど、マーガレットのようなあのお花は、瑛太くんにとって家族の真ん中にある花なのかなと思って。
最初から最後までずっと瑛太くんの好きなものが詰まった映画だけど軸にはずっと家族があって、家族へのラブレターのようにも感じた。
ありがとうは家族への想いかな…とも思ったり。

まぁこれは私の拡大解釈でしかないのですが…。
でも映画の中には瑛太くんの見ている世界が確実にあって、瑛太くんの頭の中を見せていただいたようで。
一ファンとして幸福な時間だったし、瑛太さんの奥行きの深さを感じた時間でもあった。
またぜひ撮る側でも、瑛太さんの世界を見せてくれたら嬉しいなぁと思う。

その日を楽しみに、私は生きます。