護られなかった者たちへ(ネタバレ有)

(映画のネタバレをかなり含むのでまだ見てない人は気をつけてください)

護られなかった者たちへを見てきました。

震災から10年近くたったある日、起こった殺人事件。
殺された男は職場の人からも家族からも信頼される人格者。
犯人は見つからないまま、次の殺人事件が起こりますが、その人もまた人に恨まれたり殺されるような人ではないと言います。
しかし二人には同じ職場で働いていた過去がありました。生活保護受給の窓口です。
阿部寛さん演じる刑事・笘篠誠一郎と林遣都さん演じる蓮田智彦はその共通点から、事件の真相を追います。
そして見つけ出した男・それが佐藤健さん演じる利根泰久。
彼にいったい何があって、なぜ事件が起きたのか。
震災当時の出来事と、現在の出来事が交互に描かれる中で、真相が明らかになっていきます。

私は永山瑛太さんが好きでこの映画を見に行きました。
誰からも人格者と言われる三雲(瑛太さん)がなぜ殺されなくてはならなかったのか。
しかもかなりの苦しさを味わう殺され方で、憎しみの強さを感じます。
「誰かに恨まれたりしていませんでしたか?」
という問いかけに奥さんは怒りを滲ませます。
そんな人ではない、と。
奥さんから出てきた三雲の話は、ただ思いやりがあるとか、ただ優しいとかではなく
「そんなことまでしていたのか」
と言えるもの。
誰にでもできることではないと思います。
でも、この事件の真相に近づくと、また違う彼の一面が見えてきます。
三雲、そしてもう一人の被害者・城之内(緒形直人さん)は過去にあるトラブルを起こしています。
城之内もそうなのですが、特に三雲の言動はとても「人格者」とは言い難いものです。見ているだけで、フツフツと怒りが湧くような表情も見せます。
私はあまりの苦しい展開に頭痛がするほどでした。
笘篠が、事件の関係者である上崎(吉岡秀隆さん)になぜそんなことになったのかと問いかけるシーンがあります。
「みんな疲れていた」
という言葉が出てきます。
たったそれだけのようで、重い言葉。
人は疲れると思考が停止する。判断を誤る。言動が一致しなくなる。
三雲は人に恨まれることをしながら、同時に人に感謝されるような行動もとっていました。
偽善や取り繕いでできるようなことではありません。
彼は人としての善意で、その行いをしていたのではないかと思います。
私には一つ、三雲のことで気になることがありました。
三雲は今回事件のキーパーソンとなる人と、過去に出会っています。
とても印象的なシーンです。
でも物語の展開を見ると、彼はその人のことを覚えていなかったのではないかと思います。
もし覚えていたら、気づけていたら、事件から逃れることもできたのではないか…と思いました。
忙しくて忘れてしまっていたのか、同じことが頻繁に起きて流れ作業のようになってしまっていたのか。
おそらく三雲自身、ただ体を動かしている日々で、頭も心も物事を考える能力自体が停止してしまっていたんじゃないかな、と。
想像ですが、そんな風に思いました。
私自身、あの震災の後の記憶はどこかぼんやりしています。
一時は、記憶を消そうとしていたようにも思います。
疲れていたからだ…と思います。
だからどこかで三雲や城之内のように人を傷つけ、憎まれていてもおかしくありません。
一方で、あの頃に受けた傷を忘れられない人の気持ちも理解できます。
忘れられないから、消そうとする人もいると思います。

私はどの人にもなり得る。
被害者にも加害者にも傍観者にも。
自分がどの立場にいてもおかしくない気がして、気持ちが重くなりました。

あの震災さえなければ…この作品の中にはそんな瞬間がたくさん出てきました。
誰もが生きるのに必死で、自分の大切な何かを護るため、他の何かを切り捨てる。
そんな人や瞬間を、ただ
「憎むべきことだ」
と断言することはできませんでした。

私自身、まだ震災の苦しみを背負って生きている人たちがいる中で、穏やかな日々を過ごしています。
コロナもそう。
たくさんの方が命をかけて最前線で戦う中、私は日常を過ごせています。

そんな日々の中、ふとした瞬間に何で私は生かされているのだろうと思うときがあって。
だから作中で利根が言う「生きてていいのか」という言葉にも共鳴したし、生きてることを認めてくれたけいさん(倍賞美津子さん)がどれだけ救いだったかも想像ができました。

護られない瞬間がある一方で、確実に自分を護る道を選んでくれる人もいる。
手を差し伸べてくれる人がいるのもまた事実です。
だからこそある瞬間彼らは救われ、だからこそある瞬間彼らは人を憎むことになった。

最後に笘篠が利根の話を聞いてかける言葉。私にはあの言葉をかける自信がありません。
人生何かを憎めば楽になれる瞬間があって。
憎むことでしか救われない時がある。
私は憎む方に転んでしまうかもしれない。
でもその気持ちを食い止めて、立ち続けなきゃいけない時もある。
笘篠のあの言葉が、ここまで続いた負の連鎖をせき止めているような気もしました。

事件は憎しみに満ちていたけど、犯行前に残された文章はとても優しいものに感じました。
その文章は多くの「護られない人」に向けて送られていました。
人を殺しながら誰かの幸せを願う。
正義と憎悪の二面性がそこにもありました。

人間って、皆そうなんだと思います。
誰かにとっての良い人が誰かにとっての悪い人で。
時や場所で見える世界は大きく変わって。
だからこそ自分から世界を変える声を上げていかなくてはいけないのかもしれません。
最後の時、三雲と城之内はどんな世界を見て、何を思ったのだろう。
あのシーンが焼き付いて、残像のように頭の中に残っています。

番組の終盤からエンドロールまでずっと涙があふれる映画で、数々の場面で自分の人生を投影してしまいました。

正しさが何なのか、私にもよく分かりません。
でもこれは自分の物語でもある…ということは、忘れたくないと思います。