世界は一人

舞台「世界は一人」を見た。

今までで一番、ひとつの舞台に通った。
色んな理由があったけど、最初の理由は、
「会いたい時、ちゃんと会いにいくこと」
「伝えたいことは伝えられるうちに伝えること」
と感じる大きな出来事があったからだと思う。

今までは感情で動く自分を恥じる部分があって、自分の気持ちのままに動くことを躊躇して。

でも、
ただ単純に、会いたい人には今会いにいこう。
今これがやりたいからやろう。
約束された次はいつも保証のないものだ。
そう思う出来事をきっかけに、ただそれだけの気持ちでイベントもこの一年かなり行った。

この舞台も最初はそんな思いから何枚かチケットをとった。

この一年、後ろ向きだった日々を瑛太くんのお芝居や、言葉や歌がいつも少しずつ背中を押してくれた。

そのなかでも、世界は一人はとても特別な舞台で。
当初の予定より観劇回数をさらに増やしてしまったほどに好きだなぁと思った。

吾郎、美子、良平。
同級生だった三人。

どこか内気だけど優しさが伝わる吾郎。
お金持ちの優等生・美子。
ガキ大将のような雰囲気を漂わせる良平。

まったくバラバラの三人がある夜、小さな(子供にとっては大きな)出来事をきっかけに少しずつ関係が変化していく。
性格も変わっていく。

きっと元をたどればあの日から。
でも長い人生でどこから自分の歯車が狂い始めたかなんて生きているとわからないよなと思ったり。
記憶違いも生まれるし、同じ出来事でも受け手によって見たものは違う。

よく「出逢う」という言葉が出てきた。
そこでパパとママは出逢ったの?
この話も大好き。だってパパとママが全然出会わなそうだもの。

出逢い直そう。

結局人生は誰と出逢うか、出逢った人とどういう日々を過ごすかで少しずつ変わっていくんだよなぁと感じたり。

美子の父を見て、ぼんやり自分の父を重ねて
吾郎の母や美子を見て、ぼんやり自分の母を重ねて
行間に勝手に自分の記憶を埋め込んで悲しくなったりもして。

私は小さい頃、100点が取れなかった日、そのテストを見た瞬間からずっと家に帰るのが怖かった。
100点を誉められたことも喜ばれたこともないけど、それ以外の点数は親の機嫌を左右する。
そんなことを考えながら、100点にある種の執着している良平を見つめていた。

あぁここでこうなるの、分かる分かる。
なんて一人一人に自分の感情を重ねて、もしかしたらあの舞台の一人一人が
「私の中のそれぞれの私」
だったのかもしれない、と思うほど。

感情が舞台にするすると入っていって、初めて見た時は本当に苦しくて仕方がなかった。

舞台の序盤、小学生だった吾郎たち。
母の「今何か聞こえたよね」
既にあの時から始まっていたのかもしれない。

そう思ったのは二回目の観劇の時。

良平はあいに名前の由来を愛と教える。
吾郎はあいの名前の由来を藍と語る。
よく笑うあい。
まったく笑わないあい。

あなたは本当に冷めた子、と母にいわれた私。
あなたはいつも笑顔が良いと寄せ書きされた卒業アルバム。
そんなちぐはぐな自分を抱えながら生きてきた時間を思い出して、何とも言えない気持ちになった。

思い出す場面はどこも何だか悲しくて、自分の苦い思い出と重なる。
それでも私はその報われなさが、どこかしっくりきた。

あなたはちゃんとしてる
あなたなら一人でできる

小さい頃から繰り返された言葉が、特にこの一年は本当に辛く思えた。
美子のように叩いて潰されているような気持ちになる。

私は誰かに
「できないよね。あなたも人間だもんね」
といってほしかった。
「ありがとう」
とか
「頑張ったね」
というささいな言葉がほしかったんだと思う。

人に求められる強さと自分のなかの強さがうまく重ならなくて。
強くなりたかったり弱いままでいたかったり、そういう感情がぐるぐるして。

行き着く先は
「自分はダメだ。人が好きで、人が嫌いで、結局自分が一番醜い」
というところ。

だから舞台の向こうで苦しみを抱えている三人の存在を見つめるなかで少しずつ、自分はこうだったんだ、ああだったんだと、気づくこともできた。

上田に行くと決めたあと、どこにいこう、ああしよう!ホテルもちょっとだけ奮発して…なんて、ここまで「感情だけで物事を決める」というのは初めての経験かもしれない。

穴が埋まっていくような時間だった。

やっぱり今も、一人のような気がして、だけど、やっぱり一人じゃなくて。

単純な話だけど上田の人はみんな良い人で、お店で隣に座った人はたまたま、近所で私が毎年行ってるイベントを主催している人だと分かったりして。

何だか出逢いはよく分からないところに転がってるな、と思ったり。

日常の中でこの舞台を見に行くと言ったら、
「私ハイバイ好きなんです」
とか
「私、前野さんが好きで」
という人たちに出逢ったり。
近くにいたのに、今まで知らなかったことを知って。
そこから新たな会話が生まれたりして、何だか不思議だなぁと思った。

私はクライマックスが近づく歌の場面で、良平が美子を見て一瞬微笑む瞬間がとても好きだ。
あの笑顔がどこか救いになっている気がして印象深かった。

でも「底が抜けた」という表現や、美子の叫び、絶望も何だかずっと心に残っている。
望む望まないに関わらず。
救われたくない部分。
埋まっていました。
の流れも好きだった。

無邪気に笑っていたあいちゃんが、少しずついろんな事を理解して、見なくてよい部分が見えていくのはとても心が痛かった。

良平の「洗脳」という言葉は、結局あいちゃんには自分を守る魔法のような気もした。

とにかくどれもこれもが自分の中のもやもやとうまく波長が合った気がする。
本当に行って良かった。

ところでもう一つの色褪せたスカーフ。
あれ、誰のかなぁ、とずっと気になっていた。
劇中のあの人かな、それともここにはいない誰かかな。
出逢い直す前の美子かな、なんて考えたり。
いくつかの謎を残して、そこでまた新たな想像が生まれ私の観劇の日々は終了。

私は根っからのオタク気質で、なんでものめり込むところがある。

オタクって好きなものにどこか執着して心を満たして、その気持ちで他の抜けてる何かを埋めているところあるなぁと、自分では思っているんだけど。
この一年は瑛太くんに、そしてこの一月はこの舞台に随分と依存させてもらったような気がする。

苦しさが始まった日の前日まで、どんな風に生きていたかを久しぶりに思い出せた時間だった。

汚泥の歌。
頭の中でoh dayって流れながら、自分が危なくないところに寄せた1日ってどこかなぁ、と考えたりもした。

そしてやっぱり私は瑛太くんの歌声に救われている部分があって。
岩井さんの連載の言葉を読んで、歌がうまいは良くないかぁ~、つい言っちゃうなぁと。この気持ちにふさわしい言葉は何だろうか…と考えてみたのだけど、結局、私はやっぱり瑛太くんの歌う歌が好きだなぁとしみじみ思ったりして。

何だか感情はあっちにいったりこっちにいったり。
よく分からないことになっていたけど、とにかく久しぶりに記憶をちゃんと心に刻んで生きられた日々だった。

この熱量、自分に向けられたら重すぎて誰よりも早く逃げるタイプの人間だけど。
それでも「伝えたいことは伝えられるうちに伝える」の気持ちで、この感想を書くことにした。

夜のテンションで書いた文章は1日置け!と誰かがいっていたけど、私は置くと一生置き去りにしてしまうタイプの人間なので、勢いのままそのまま上げる。